『焼餃子』を振り返る
焼餃子をテーマに朝鮮半島や中国東北地方、果てはモンゴルに至るまで様々な舞台を旅しながら物語が進んでいく本作品はいかにして書かれることとなったのか。
デビュー前から蜂須賀作品を見続けてきた旧友マヨコーンタナカが、少し緊張しながらも真剣に焼餃子について質問をぶつけてみた。
文・構成 マヨコーンタナカ
―――今回餃子がテーマの物語ということですが、レシピでもガイドブックでもなく小説というフォーマットで餃子を取り上げるということは非常に珍しいと思われます。どのようなきっかけで餃子をテーマにした小説を執筆なさろうと思われたのですか?
蜂須賀 父の実家のご近所さんに満州から帰還された方がいて、その家ではよく焼き饅頭という今の焼餃子に近い料理を作っていたんですね。それから父の実家の界隈ではプチ餃子ブームが起こっていたそうなんです。その話がずっと頭の中に残っていて、大陸を巡って日本に餃子が辿り着いたという物語に惹かれるものを感じたんですよね。
―――焼餃子という食べ物は第二次世界大戦を経て中国から伝来したと言われていますが、物語の主軸に「戦争」が深く関わってくるということに葛藤のようなものはありましたか?
蜂須賀 やはり餃子の物語を描く上で戦争は避けて通れないですし、触れるからには当然覚悟も必要でした。ただ様々な歴史的な状況を踏まえつつもあくまで餃子が主体で、政治的な思想や対立は俯瞰しつつ、物語として楽しめるものを提供していきたいなというのが根底にありました。
―――物語は戦中と戦後で登場人物が大きく切り替わる二部構成となっていますが、これは最初から構想があったのですか?
蜂須賀 戦中と戦後でパートが分かれるだろうな、とは予想していたのですが具体的にどういうキャラクターを出すかというのはあまり決めていませんでした。前半が終わった時点で考えればいいかなと(笑)。
―――それでは後半は前半が完成してからあらためて構想したということですか。
蜂須賀 前半の『餃子の文化を持ち帰る』というところまではあらかじめ構想していたんですが、後半はすでに出来上がったキャラクターたちがいたので、彼らの動きに集中して書きました。
―――この物語では様々なキャラクターたちが独特な動きをしていますよね。これらのキャラクターを造形するにあたり特にこだわった部分などはありますか?
蜂須賀 全体を通してキャラクターたちに意識させたのは『必死』さですね(笑)余計なことは考えずとにかく『生きねば』という必死さが全身に出ているキャラクターでいてほしいな、と。あとは作品内で経過する時間が非常に長いので、あまりチンタラしているといくら書いてもキリがなくなってしまう。だから葛藤があっても最小限で、とにかく生きることを第一に考えていてほしいなと。
―――必死に生きた結果があのようなキャラクターたちのテンションにつながったと。ちなみに一番思い入れのあるキャラクターは誰でしょう?
蜂須賀 いっぱいいるんですが、僕が好きなのはイソですね。悪役ってわけではないんですが、クリーンで馬鹿正直なキャラクターが多い中で異質な存在になってますよね。彼がいなかったら後半の物語が動かなかったので、裏MVPは彼なんじゃないかなと。
―――確かに彼は憎まれ役ですよね。ただ憎まれ役ではあるけれど、言ってることは正しいという厄介な役どころですね。
蜂須賀 もっとトリッキーな動きをさせてあげてもよかったかなとも思ったんですが、意外と真面目なキャラクターになってしまいました(笑)。
―――個人的な話で恐縮ですが、自分はダッシュというキャラクターに非常に愛着がわいてしまいました。戦後の焼け野原をしたたかに生き抜くしぶとさと、自分を救った者を盲目的に信奉してしまう脆さを併せ持ったとても危なっかしくも魅力的な人物だと思います。このダッシュというキャラクター、そして彼らの仲間である戦災孤児たちはどのような意図を持って生み出されたキャラクターなのでしょう?
蜂須賀 物語を進めるうえで『グンゾーの餃子を脅かす存在』が必要になってきたんですよね。戦後の日本の食文化はいろんなものを淘汰し合ってきたと思うので。なのでグンゾー組を飲み込んでしまえるような強いパワーを持ったキャラクターが欲しいなと思ったんです。ただそれは大人じゃダメで、戦災孤児という本当に厳しい状況から立ち上がってきた子供たちじゃないと、脅かす存在にはなれないと考えました。戦災孤児というのは非常に脆い立場で、もちろんきれい事だけじゃ済まない部分もあるのでしょうけど、そのたくましさのようなものに敬意を持って描きました。
―――物語中にはグンゾー、ウンジャ、ミンなど様々なルーツに持つ者たちが餃子の魅力に取り憑かれていきますが、多国籍・多民族な登場人物を描くにあたって配慮した点などはありますか?またそれによって読者に伝えたかったことなどを教えてください。
蜂須賀 政治的な立場や国籍という目線で歩み寄ろうとしてもうまくいかないこともあるんですよね。一方で食文化というのはとてもしたたかなものですから、国としては抵抗があるけど食べ物は好きっていうケースはよくありますよね。人間そういう欲望は抑えられないと思うんです。だからそういう部分でつながっていけたらいいなと。みんながなかなか乗り越えられない壁を食文化――餃子がつないでいけるんじゃないかと。
―――なるほど、食欲の前では皆平等だと。
蜂須賀 そんな感じだと思います(笑)。
―――序盤から物語に関わってくる軍人三人組も非常に強烈な個性を持ったキャラクターだと思います。とくに九鬼軍曹はテンプレートな帝国軍人キャラかと思いきやなかなか個性的な思想を持った人物でした。このようなキャラクターに込めたメッセージはなんでしょう?
蜂須賀 おそらく軍隊という組織を最初に生み出したときには、ある種の理想があったと思うんですよね。でも時間が経過するにつれ理想と現実が乖離してしまい、当時の軍人たちは『言ってることとやってることが違うだろ!』というギャップを多かれ少なかれ感じていたんじゃないかなと。九鬼軍曹というのは現実では成し得なかった理想論を生きている人物なんです。帝国軍人は人道に則り行動する、という理念を彼は本気で掲げている。彼がどこか後味がすっきりしているのは当時の軍人たちが抱えていた迷いとは無縁のキャラクターだから、と言えるのではないでしょうか。彼らは青春を戦争に費やしてしまっているんですよね。だから彼らの青春は戦後に始まっているんです。
―――確かに六浦や三条が大活躍したのはむしろ戦後でしたよね。
蜂須賀 彼らは戦争という経験を経てもなお青春を味わうために一生懸命生きた、と。それを描き切ることに使命を感じました。
―――この物語最大の謎とも言える存在、餃子の女神。ズバリ、餃子の女神って何者なんでしょう?
蜂須賀 何なんでしょうね? 僕にもわかりません(笑)。ただああいうのに出会ってみたいなという思いはありますね。世の中には餃子に限らず、自分でも気付けていないものがたくさんあるけど、何かのきっかけでその素晴らしさに気付けるというのは人生で一番大事なことだと思うんですよね。ですから餃子の女神というのはある意味『気付き』の象徴なんですね。その素晴らしさに気付くことができたなら世の中の見え方・自分の生き方がガラっと変わることもあるんじゃないかなって。なので餃子の女神はキャラクター性がどうというよりも意識的な存在というか、『きっかけ』が具現化したようなものですね。まあこれは公式見解ではないので、好きなように解釈してください(笑)。
―――最後になりますが、この「焼餃子」というタイトルは非常にシンプルかつ明快です。なぜこのようなド直球なタイトルになったんでしょうか?
蜂須賀 仮タイトルの時点で『焼餃子』だったんですけど、なんかフタを開けてみたらそれしかないな、と。それにこの話の主役は人間じゃないなという思いがあって。餃子が主題なので餃子という看板を背負っていてほしいなと。そこに迷いはありませんでした。
―――なるほど、あくまで餃子が主役だからタイトルも「焼餃子」なんだと。
蜂須賀 そうですね、非常にシンプルな話です。ゴジラが主役だから『ゴジラ』というのと同じで(笑)。
―――タイトルもシンプルなら名付けた動機もシンプル、というわけですね。
このたびは様々なお話を聞かせていただきありがとうございました。